1999UCI女子ワールドカップオセアニアラウンド

1999年まだ春の訪れである春一番が吹くも、まだまだ寒い3月のある日の事。

ニュージーランドでサイクリング見たいなのがあるから行ってくれと頼まれました。

4泊5日の予定でした。

チョッとオーストラリアに寄ってからだけどとも言われました。


外国でサイクリングとは、自転車のロードレースの事を指します。

オーストラリアは、大陸でニュージーランドは、小さな島国なので、飛行機の

トランジットの関係で寄るのだろうと考えていました。

でもチョッと寄ったオーストラリアで6日間のスキー場と

スキー場を繋ぐ山岳ステージレースがあったのです。

そして、ステージレースの後に、もうワンレース行なわれました。

それが、1999女子ワールドカップRd1だったのです。

通称「なんちゃってJPN」。

非公認日本代表と言う訳の解らん状態で、騙されて

派兵されました。

後になって、その人は人身売買野郎の異名を持っていることを

知りました。

JPNチームの作業スペース←JPNチームの作業スペース



↑ワールドカップオセアニアランド最終日の朝、完璧にセットアップしたバイク

元々、決まっていたメカニシャンが居たのですが、

この年からワールドカップになった事にビビて、

いわゆる「バックレ」をしたのです。

そして、ワールドカップRd1オーストラリアが終わるとニュージーランドに。

そのニュージーランドでもステージレースとワンディのワールドカップRd2が。

そのときの彼女には、いつもの国内遠征だと伝えて有りました。

だって、海外と言うと土産がうるさいでしょ。

でもAUSで1週間目ぐらいに「これは、しばらく帰れんなー」と思い

AUSのホテルから、指輪を渡していた彼女の携帯に電話を入れました。

彼女
「貴方は、今どこで何をしているの?」


「チョッとワールドカップでオーストラリアに
来ている。」

彼女
「はぁ〜??? で、何をしているの?」


「17歳から25歳までの女子選手のメカニックやマッサージなんかをやっている」

彼女
「えェ〜!!! いつ帰ってくるの?」」


「次は、Rd2でニュージーランドに渡るから」

指輪を渡していたその彼女は、マリッジブルーになりました。

彼女が私の宿泊しているホテルに送ってきたファックス。

「貴方は、明日どこへ行ってしまうかもしれない人・・・」と。

4泊5日の予定が、行って帰ると3週間経っていました。

たった3週間ですが「団子三兄弟!?宇多田ヒカル!?、誰、何それ」と

完全にウラシマ状態でした。

そして帰国後もJPCAのマネージャーでTOJを転戦したりしていた私に

それでなくても、遠距離恋愛だった彼女は、じっと傍にいてくれる人のところへ

行ってしまいましたとさ(ここ笑うとこネ)。

 選手の手にその日のスプリントポイントと
                        ハートマークとFHIGTの文字を入れた
                        これ見た私のその時の彼女が、焼もちやいて・・・



                     

GIOS-JPN MECHANIC Takehiko Hashimoto