ロードレースというもの

ロードレースと言うモノ。

日本では、超マイナースポーツ。

それは、この種目が国土も人の心も大陸的なモノを要求されるからとばかり思っていた。

でも、最近そうでない事に気が付き始めた。

2005から国際自転車競技連合(UCIジュネーブ)が制定し、始めたコンチネンタルサーキット。

それは、ロードレースと言うモノをそれに値する文化として、イベントとして、

足るものとすべく始めたもの。

それを日本の現場が理解していない。

当然、観客も理解できない。

チェスや将棋。

ルールを知らないものが観て、楽しいだろうか?

ロードレースは、高度な機材、戦略、戦術、組織力が必要とされるスポーツ。

私の現役時代、マイナー種目ながらも国際レースや、国体などでは、多くの観客がつめかけた。

しかし、なぜか私は多くの観客がいるにもかかわらず、孤独感を感じた。

選手は、時速50キロの集団で観客の前を飛んでいく。

観客は、マラソンのように、旗を振って声をかけている場合では、無いのだ。

一瞬で、カラフルなウエアに身を包んだ熱帯魚が時速50キロで目の前を飛んでいく。

ロードレーサーのメカニカルノイズと集団が風を切る音を残して。

私が感じた孤独感は観客が、観戦に来ていないことから感じた事だった。

目撃しに来ているのだと言う事。

なぜ集団が、生き物のように形を変えるのか。

アタックってなんだ?列車ってなんだ?

無線機で何を聞き、何を喋っているのか?

           
選手は、数分毎にどうして食物を口に運び、ボトルから何を飲んでいるのだ?

選手の後方を走る、あの車の隊列は、いったい何のためなのだ?

        
 
観客は、何が目の前で起こっているのか理解できていない。

選手から、観客は見える。

でも、観客は、目の前で起こっている事が理解できていない。

ただその迫力に圧倒されるばかり。

そして、なにもわからずに「なんか、ロードレースってすごいけどよく解らない」となる。

レース会場ではなくて、レース現場なのだ。

レース現場に、観戦ではなくて、目撃しに来ているのだ。

目撃と観戦の違いはあまりにも大きい。

レースを観戦できているのは、実際のところごく一部のマニアだけだろう。

UCIが一番大切にしているのは、観客である。

UCIカテゴリーレースでは、観客が観戦できるように事細かに、レース会場の設備やレイアウトが

規定されている。

個人TTであれば、観客が観やすい高さのスタート台の設置。

競技に精通した、レース解説やアナウンサーとアナウンス設備。

オーロラビジョンの設置。

会場での情報通信施設の設置。

電話やファックスやコピー機の設置である。

当然、選手やスタッフには、観られていると言う自覚が求められる。

観せる走りや仕事や、なり振る舞いが要求されるのである。

なり振る舞いとは、レース中のみならず、レース期間中も含まれる。

TOJ2005で実際にあったこと。

宿泊先のホテルの中を、あるアマチュアチームの選手が、コンビニで買った缶中ハイを

飲みながらうろついていた。

常識で考えても、許される事ではない。

選手や関係者は、観られている、観てもらうということに関して、もっと危機感を

持ってもらいたいと切に願う。