規則(一定の決まり、ニューセンチュリークラウン国語辞典より)
規則に反している事は、悪いこと
確かに
では、規則だけを守っていれば、それでいい
そうですか?
だから規則にないことは、やってもいい
間違ってますよ!
では
規則に違反するとペナルティー
確かに
その規則どおりにしていれば、ペナルティーをかされないので、それでいい
そうですか?
だったら規則どおりに、しているように見えればいい
間違ってますよ!
規則の意味。
国際社会から学校教育まで規則と言うものがあります。
それは、国際法であったり、校則というものであったりします。
あらゆる人に、わかりやすいようにするため、これらは明文化
されています。
しかし、その文を鵜呑みにするだけでは、まったく意味は、ありませんね。
その文をおしつけても、「なぜこの規則は、必要なのか?」を
理解していなければ、理解させなければ、何もなりません。
明文化されている物は、外的な事。その外的なことは、内的な物を
伝えるための物である事。
スポーツにおける規則とは、フェアプレーであり紳士的淑女的行為、
ひいては、人間の倫理観や尊厳と言った物を明文化したものです。
それらを事細かに明文化することは、六法全書をもう一冊造ることに
なります。
スポーツをする(プレイ)こと。
規則(レギュレーション)を厳守した上でプレイすること。
フェアプレーの精神。
精神とは、内的な物。
それは一見して外的に見て取ることは、困難な物。
フェアプレーでなければ、成り立たないスポーツ。
そのスポーツを極めようとすればフェアプレーに徹さなければならない。
プレイヤーを卒業し、スポーツを支える立場であっても。
それは、コーチであり、コミッセールであり、それらを統括している
組織、団体にも当てはまります。
2004年、高校野球連盟が新たに規則を追加しました。
「茶髪、まゆぞり禁止」
これの意味がわかりません。
しかし、規則になった以上これに反することは、悪いことになります。
ではこの規則で規制したら、何がどう変わるのか?
少数の人たち(であると願っています)が外的に、この新しい規則を
犯している事を短絡的に内的な物と、直結していると考えているようです。
高校野球を卒業した選手の多くが、何らかの形で野球に携わります。
よほどの事情がない限り、きっぱり野球と縁を切ることは、ないはずです。
それは、野球がとても魅力的であるからです。
それゆえにこの国では、文化として広く認知されているからです。
高校を卒業する選手の中には、その才が認められ「プロ野球」と言う
団体に入り、それを生業にすることが出来ます。
大学にその才が認められ、スポーツ選手枠で「学連」と言う団体に入り
その才をさらに伸ばしながら、大学教育を学ぶことが出来ます。
ほとんどの選手が目指すのは、イチローであり、松坂大輔です。
イチロー選手は、2004年偉業を成し遂げました。
MVP確実と思っていたのですが、バリーボンズのホームラン記録の前に
屈しました。しかしバリーボンズは、シーズン終了後自らドーピングを
していたことを告白しました。
アメリカと言う国は、おかしな風潮がたくさんあります。
それは、建国230年足らずで自分たちの文化が皆無なせいでしょうか。
その国は「銃を持つ権利」を自分たちの文化として、堅持しています。
一方で世界の警察官として、あらゆる国の紛争に介入し、自分たちの
論理、価値観を押し付けます。
圧倒的なテクノロジーと物量で占領した後、武装解除を求めます。
自分たちは、頑なに「銃を持つ権利」を主張しているにもかかわらず。
それに従わなければ、子供であろうと殺します。無差別殺人です。
それを正義と言って、はばかりません。
バリーボンズのドーピングの告白は、何をどう言ってもフェアでは、
ありません。しかしアメリカと言う国は、告白した勇気をたたえ、悪いのは
ドーピング物質を含んだ、サプリメントを売った方だと考えます。
サプリメントを売った会社は、そのことをさらに事細かく記者会見で、
説明し悪いこととして謝罪します。そうするとアメリカでは、
謝罪したことのみを大きく捉え、やがてその会社は、潔いと考えます。
最終的にこれらは、皆ファウルを犯した者であるにもかかわらず、
だれもそのことをあえて指摘しません。
イチローは、秀でています。良くも悪くも。
彼が出演しているCMの中に滋養強壮剤のCMがあります。
それは、エフェドリン、無水カフェインと言ったドーピング禁止薬物の
含まれた物です。
彼がそれを知らないわけは、ありません。確信犯です。
松坂大輔は、従来の日本人投手に無かった、投球フォームをしています。
正確には、投球後の腕のフォロースルーです。
それゆえ、彼は2004年以降も順調に行けばまだまだ、球速は上がるでしょう。
しかし彼は、プロ野球という組織に入ってから、無免許で自動車を運転して
法律を犯しました。後に結婚する相手に会いに行くために。
また彼は「茶髪、まゆぞり」をしています。
彼らは、自分たちを目指している少年が多くいることを知っています。
知っていながら、やってはいけない事をしています。それは、禁止薬物を
安易に勧めるCMへの出演。犯した罪を一般社会の常識に照らし合わせて、
十分に償なっていない事。
彼らは、罰せられなかったり、短期間の謹慎処分で済まされています。
それは、規則に無いからであり、その規則を作っている組織、団体が
一般社会から見て時に滑稽に移る「自分たちに都合の良い事」しか考えない
人たちの存在。
自転車競技においてフェアプレーを逸脱することは、時に生命の
危険を伴います。それゆえにその団体、組織のレギュレーションには、
「茶髪、まゆぞり禁止」などと言う意味不明なレギュレーションは、
存在しません。
競技自体が精神的肉体的に厳しいからです。
この競技を極めようとすれば、必然的にフェアな人間になってしまうのです。
それは、外的にわかるものでは無く、内に秘めた精神。
フェアプレーの精神。
世界の自転車競技とは、JPNナショナルチームヘッドコーチ班目御大をして、
「ロードレース」と言わせしめています。
それは、ツールドフランスに代表されるレースを走る選手は、クライマーで
あっても日本の並みのスプリンターより、スプリントを持っていること。
ロードスプリンターであっても、日本の山岳スペシャリストより登板能力に長けている事。
尚且つ、総ステージ3000キロ以上を走りきった、凱旋門のゴール勝負で1000TTを60秒台で
走れる、スプリンターであること。
日本は、自転車後進国です。
それでも世界における自転車競技であるロードレースのシリーズ戦が
存在します。レベルは、どうあれ日本では、最高峰のシリーズ戦で
あることは、間違いありません。
JJカップ。
実業団自転車競技連盟に加盟もしくは、認められたチームが参加できます。
それは、広く門戸が開かれています。
JPCA、高体連、学連も参加できます。
カテゴリーは、BR-3から始まり2、1と各レース各カテゴリー別に、
レースを行います。
2004シーズン終了時で129チームがシリーズを戦いました。
実業団の選手には、個性的な風貌、容姿が多く見られます。
茶髪もいれば、まゆぞりもある。髭もあればロンゲもいる。
一見、ちゃらけた様に見える実業団選手。
しかし、BR-1で走れるようになるには、フェアプレーと言う物が
誰に言われるまでも無く、身についていなければなりません。
身についていなければ、BR-1に上がれたとしても、短期間に終わります。
アンフェアで勝っても、それは外的なことに過ぎません。
そういう選手は、プレーヤーとして外的な物をたくさん獲得しても、
誰も何も認めません。
規則に無いからやっていい、規則に無いからやらなかった。
かつて、唯一自転車クラブのある女子大がありました。
コーチは、イギリス人。その大学の英語講師です。
そのコーチは、テレビの取材でレポーターにこう質問されました。
「過酷なロードレースを走らせるために、どう言う厳しい規則を作っているのですか?」。
返答は「競技そのものが厳しいので、何も規則はありません。必要ないのです」。
レポーターは「心頭滅却」と言った精神論の答えを期待していたようです。
精神論を否定しているわけでは、ありません。
しかし、ともすれば外的な容姿や目の届くところでのみ、規則を
守っていればいいと言った誤解を招きがちです。
本来の意味が、伝わっていないケースが多々あるように思います。

