私が現役時代に犯したドーピング

このWEBで最初にたくさんの人に知って欲しかった私が現役時代に犯したドーピング。

既に述べているようにドーピングとは、「行為」も含まれます。

このコンテンツの正式な名称は「私が犯したドーピング行為」です。

私は、アスリートとしてとんでもなく恵まれていない身体をしていることを

ソウルオリンピック選考レースでのありえない中継のテレビカメラの落下に激突と言う、

アクシデントから復帰する時に入院していた国立大阪病院の、アスリート相手のスポーツドクター3人から

言われました。

「骨盤が小さすぎる。脚の筋力に負けてしまって、股関節脱臼状態だ」。

「関節が細すぎる。膝がグラグラだ。握力に負けて、手首も疲労骨折している」。

「肩から出ている頚椎が、君は常人より一つ半多い。空気抵抗を減らすために前傾しながら前を

見なければいけない自転車の選手としては、致命的だ」。

「君を競技復帰させる事は、障害者になることを意味する。医者としてそれは出来ない」。

アクシデントから、何とか競技復帰をしようとしていた私の身体の詳細な、精密検査の結果で

アスリート相手のドクターから言われた言葉だ。

私は、いわゆる練習チャンピオンではない。クラブの練習や県代表選手相手のロード練習などでは、

いつも最下位だった。

それは、練習はあくまでレースで結果を(勝つ事)出すためのものであると言う、信念に基づいて、

ハイインテンシティートレーニングに悲鳴をあげる、鍛えようの無い弱い身体の各所と相談しながら、

練習はいつも最小限の課題を持ってそれを完璧に克服する事を続けた。

身長は、171チョイで体重が53キロ弱。

ギアは、3年かけてクランク167.5でアウター48T→50T→クランク170で52Tに持っていった。

そんな身体で、1986年の山梨国体ロードで三浦さん、安原さん、大門さん、佐藤稔実さん、林さんの

アタックに乗っていたのだ。

53Tをぶん回す、そうそうたるメンバーのアタックで私が引けるわけも無く、前へでると「おまえ下がれ」と

罵声が飛んでいた。

山梨国体のコースは、総距離131キロで高低差100メートルという、ハイスピードフルフラットコース。

そこで、ラスト100キロから130キロまでの逃げに私は乗った。

最後は、集団に飲み込まれアタックは、失敗に終わったが、初めての国体でいい経験が出来たと

今でも幸せに思う。

この国体の兵庫代表になるために私が倒さなければいけなかったのは、ファクトリーチームの選手だった。

練習では、一度たりとも彼等の足元にも及ばないような私の走りを知っていたファクトリーの選手たちは、

レースでの私のパフォーマンスに驚きとともに、それを認めようとしなかった。

クラブチームの私に負ける事は、ファクトリーチーム放出を意味するので、結局二人とも自転車競技から去って

いった。

一人は、私に負けた後、○ラヤレーシングを放出され、プライベートでアルペンスキーのダウンヒルの選手に

なっていた。ある夏の県大会で「スキーで大腿骨折ってしもた」と笑顔で応援にきてくれた。

「今度は、スキーで国体目指してるねん」と笑顔で私に言葉を掛けてくれた。

共に戦った、まさに戦友である。

もう一人の方が、チョッとまずいと言うか私に負けた事がトラウマのようになっているようで心苦しい。

彼とは、3万メートルポイント決勝で、競い合いそして私が優勝した。

雌雄は、完璧に決していたのだが、彼にとって私に負けるということは、到底受け入れられなかった

事だったのだろう。

顔を合わせるたびに「おまえには、タイムで負けただけや。レースでは負けてへん」と15年以上経った今でも

ガンを飛ばしてメンチをきってくるという、私にとっての彼は、今だライバルのままなんだなぁと、なんか嬉しいが

私に負けた事がトラウマになってしまって自転車競技から去っていってしまったのだけは、とても悲しく思う。

少なくとも(結構多くの人がいたと思います)この彼は、私が犯したドーピング行為によって、トラウマを抱えて

しまったと言い切れます。

私が犯してしまったドーピング行為とは・・・

・人が練習をしていない時に練習をしていた。
例えば、土砂降りの雨の日なんぞ、アマガエルよろしく喜んで走りに行ったものだ。
フルタイムワーカーだったので、ナイトランがメインだが、土砂降りの高野山や金剛山にも平気で
ロードに行っていた。
 
逆に、晴れた日曜なんか、わざと見せつけるように、オネ〜ちゃんたちと映画を観にいったりしていた。
そしてそれをこれ見よがしに、ふれまわった・・・なんと言う性格の悪さだ。
私の中では、この行為は、ドーピングなのである。
正々堂々と皆と同じ練習をしていればよかったのだが、いかんせん身体のつくりが貧弱で、通常の練習では
速くなるどころか、潰れてしまうと言う情けなさだったのである。

 みんな、土砂降りの夜中に私が練習なんぞしていることなど知らない。
 
 そして、合同練習では、決めた練習課題に集中して、後は流して走っていた。
 結果、練習では、私がどんベ。でもレースでは、私がコンスタントに上位に入っていた。
 
「あいつは、日曜の練習をチョクチョク遊びに行くために休むし、いっしょに練習をしていても、全然速くない」。
↑これ、実は兵庫の先輩から、お言葉をいただいていた結果の練習への私なりの取り組みでした。

その先輩から、「人の練習していない時に練習をしろ」と言われました。

雨の日に喜んで走る人ってあまりいませんよね。

土砂降りの金剛山や高野山や六甲山なんかも走る人なんて、まずい無いと思います。

雨の日のランは、全身ずぶ濡れで、練習以上に過酷な環境のほうがきつくて、練習のきつさを

忘れさせてくれました。

ただ、雨が体温を奪うので、走る分以上のカロリーを補給しながらの練習でした。

フルタイムワーカーだったので、平日はナイトランが中心になります。

気がついたら、土砂降りの夜の金剛山を走っていました。

ねぇ、○IA-COMPEにいたM君。

M君が負けを認めようとしないことは、なんとも思わない。

でもね、私はM君を倒すために骨身を削って、影で練習してたんだよ。

おかげで、今はもう身体は、ポンコツで脚はスカスカです。

でも、あの夏、あの3万メートルポイントレースでM君を倒せた事は、私にとって誇りなんだ。

たくさんのトロフィーや表彰状を選手を辞めた時に破棄したけれど、君と競って勝ち取ったレースの盾は、

ずっと捨てずにしまいこんであるんだ。

でも、次ぎあう時もM君は、ガンを飛ばしてくるんやろうな〜。

この先、いつか、どこかで、またふと出会ったとき、M君が私に負けた事を認めなくても良いよ。

それは、あの年、あの夏の明石のバンクでM君と競い合った時間が、

永遠に終わらない大切なものだと言う事だから。

陳腐な言い方だけれども、きっとそれは「青春」と言うものなんだと思う。